作詞作曲に際して
私はこれまで作詞作曲をきちんとやれている自信があまりないのでちょっぴり不安ですが、これまでの曲作りについて少しお話させていただこうと思います。よろしければお付き合い下さい。
ピアノを教える母の影響で小さな頃から音楽は傍にありました。抱いていないと泣く子供だったそうで母は私を抱きながらレッスンしていたそうです。ピアノを始めたのは幼稚園、声楽は中学2年の時でした。
小学校に上がった頃から自分の考えをノートに綴るようになりました。小さいながらに自分の物差しで物事を計る癖があり、皆が当たり前にしている事を正しいと思えなかったりして悩むことも多かったです。綴る事が習慣になったのは6年生の時です。担任の先生が「毎日なんでもいいので、感じた事を書きなさい。」と宿題にしていた「心のノート」毎日2ページから多いときは10ページ、今でもそのノートは全てとってあります。小学校の卒業式の日、その担任の先生に初めて言葉にメロディーをつけたものをカッセットテープに吹き込んでプレゼントしました。
好きかどうかも解らずに日常的に続けていたその二つの事柄が今になりました。言葉が乗りたがっているメロディーを探してあげる作業はとても難しいのですが面白いです。メロディーと言葉が一体になった瞬間は本当に気持ちがいいです。言葉だけでは表現しきれない感動をきちっと届けられる歌い手でありたいと思っています。
初めの頃は自分の内側の想いを沢山曲にしてきました。内側の想い、とは他者との違いや、自分の正義を主張したい時に生まれる、私だと人にはあえて言わない「本音の部分」です。でもその本音がどこから生まれているのか突き詰めてみると「弱い自分」だったり…落としどころは決まってその辺りになります。あえて人に言わない部分、それを音楽にして人に聴いてもらうのです。それが自然に人の心を動かせるものになれば理想の形だと思います。失恋の曲などは自然にそうなりやすいような気がします。ですが活動を続ける中で、音楽で繋がり、生まれる感謝や、私自身がこれまで耳にすることで受け取って来た「音楽の力」を私なりにどう返せるのだろう、そんな自問自答を繰り返し、材料が大きく変化していきました。
現在は、生活の中で心が震える瞬間を、プラスで受けた力そのままを曲にする事が多いです。それはアスファルトの隙間に咲く1輪の花だったり、見えない「愛」が見えた瞬間だったり、友人の輝く笑顔だったり。そうして見ていると材料は日々ごろごろしていることに気がつきます。
人の心はどちらかというとネガティブな力に引っ張られやすいと思うのですが、(私がそうです)普段当たり前だと思っている生活の中には世界がキラキラと輝いて見える事の方が実は多いのです。人生を前向きに取り組んで行くために必要なのはその部分にどれだけ気がつけるか…なのかなぁと思っています。それを音楽で表現出来れば私が目指す「音楽の力」の再現に少しでも近付けるのではないかと思っています。
音楽は目には見えないのでいつも不安です。ライブの後は「きちんとお客さんの心に届いたかどうか」脳内反省会が毎回とり行われます(笑)それはきっと今後も変わることはないと思います。曲を耳にして下さったお客様から「感動しました。」そんな言葉がもらえたりすると、自分があるかも解らず求めている自己満足とそうでない境界線がある事を少し実感します。そんな部分を心の中で探りながら、これからも未開発のエリアを耕していきたい。満足する結果は簡単に出ないけれど、それでいいんです。それが「私を生きる」ということでもあるような気がします。日常で見つけるささやかなこと、すごく素敵なこと、そんなことをこれからも沢山沢山歌っていきたいです。